液体パパ

3人子育て中の個人タクシードライバーがわりと変な記事を公開します。



ひんやり飯

今週のお題「ひんやり飯」

いやーブログのお題ですよねー。
待ってましたーって。
待ってましたーって声出たよ。

「ひんやり飯」

ひんやり飯って言ったらまず僕ですから。
僕はいつだってひんやり飯と隣り合わせの人生を送ってきたし、何ならひんやり飯になってた時期もあったくらいで。

あの頃のひんやり具合って言ったらほんともうね、そんじょそこらのひんやりと一緒にして欲しくなかったね。

傍から見たら似たように見えるのかも知れないけど内心一緒にすんじゃねーって。
こんなひんやりのひの字も理解していない連中と一緒すんじゃねーって、ある種尖ってた時期だとも言えるんだけど、そういう鬱屈した感情が今のひんやりに繋がっている部分は大いにあると思うんだよね。

あれから自分のひんやりを磨いてきたし、時には少し暖めてもみたし、苦しい時期を乗り越えて来たからこそ今みんなの前にこうしてひんやりした自分を披露出来ている自負はあって。

でもそれはまだまだ途上なのは自覚してて。
やっぱ世界のひんやりに比べたら自分なんかまだまだだなって感じるし。

Youtubeとかでひんやり飯動画を検索すると世界のすごいのが出てくるじゃないですか?
これ凍ってんじゃねーの?ってくらいのが。

ああ言うの見ちゃうとまだほんと未熟さを痛感するし、だからこそいつか超えてやろうって思うんだよね。

あの時の悔しさとか鬱屈した感情は良い意味で動力源になっているし、自分だっていつかまるで凍っているようなもんを見せられるって信じているから、それが生きがいみたいにはなっているよ。

偉そうな事言うようだけど、多分これからは凍ってくると思う。
実際に世界レベルではかなり凍ってきてて、そういう未来の標準をいかにリアルに捉えられるかってのは自分自身のスキルアップにも不可欠だし、この国の未来のひんやり飯にも大切な事なんじゃないですかね。

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