軽はずみな発達障害認定こそ多様性を排除する愚かな動きだ
少し古いかなーとも思うんだけど、ドン引きした記事があったので取り上げたいんですけど。
これね。
記事によると各自治体の小学校の先生に調査したところ、発達障害で何らかの支援が必要だと判断した小学1年生の割合が10パーセントに上ったんだって。
要は先生から見たら診断を受けていなくても発達障害だと判断できる子が潜在的にもっといるよねって話。
これは多様性が認められてきた証だと思います?
僕自身も未だにそうなんですが、他人の話を聞いている最中にその話の1フレーズから過去の出来事がフラッシュバックしたり、物語を創作して妄想がガッツリ進んでしまう事がある。
気付いた頃には話が終わっていたりいつの間にかレスポンスを求められていて「え?何?」みたいになる。
おかげで学生時代の先生の話なんか一切覚えていない。
本当に全く覚えていない。
話を聞きながら全く別の事を考えているから。
これは未だにそうで、意識して聞こうとしても気付いた頃には話の先を予測した物語が創作されていたり過去の出来事にトリップして選ばなかった選択肢の先をイメージしたりしてる。
医者に行ってないから分からないけど、きっと発達障害と言われるのでしょうね。
大人になれば多少は改善するかと思っていたけどとんでも無い。
何ら変わりませんよ。
ただ、今現在苦労しているかと言えばそんな事は全く無い。
学生の頃は授業なんか頭に入らないから基本的に独学だったし成績も上がらなかったけど、培った妄想力は自分を俯瞰で見る能力に繋がってて。
これは自分を少し上の後方から操作しているプレイヤーの感覚。
自分では自意識お化けと形容しているけど。
これのおかげで会話における行間の読みや先回りがしやすくなっている。
身近な人には苦労をかけている部分もあるけど、勘の良さでプラマイゼロに持って行けているんじゃないかなって思うんです。
(まだ少しマイナスかも知らんけど)
今回のこの記事を読んで僕が実感したのは、多様性とは程遠い社会の同調圧力。
多様性の看板を背負って良い子ぶっている同調圧力という名の悪魔ですよ。
これでは個性を潰すばかりか、本当に支援が必要な発達障害児を霞ませてしまう危険性もある。
全く同じ事を考えて全く同じ行動をするマシーンを作りたいのなら確かに和を乱しかねない子供は邪魔かも知れない。
とっとと発達障害認定して大人がよってたかって個性を削ぎ落とす努力をすれば良いだろう。
まぁ無駄だろうけど。
そんな事に時間と金を割く国に未来が無い事すらも理解出来ないのであれば。
若干の異端を発達障害認定してタグを付けるのではなく、個性の振り幅を拡大して飲み込むのが多様性の尊重というものでしょう。
教室の入り口って真ん丸じゃなきゃ入れないの?
もっと宇宙船でも入れるような馬鹿でかい入り口にしとけよ。
そういう奴が宇宙に飛び立って行くんだぜ?
こういうニュースで一番困惑しているのは本当に重い発達障害を抱えた人やその家族、支援者の方々なんじゃないですか?