【作品】自由研究ってなんかみんなパチンコ作ってなかった?
あのーほら、あれあるじゃないですかあれ。
あの、ある程度の良識の範囲内でなおかつ夏休みという時期にやれとやけに限定された研究のやつ。
本当に何もかも自由にやったら怒られるし、本当に研究したいものなら言われなくても発表を想定しない状態で既にやっているし、人間の能力、もとい人間の値踏みをする者が能力の数値化、或いは可視化がなされていないと査定する事が出来ない程度の能力であるが故に課された自由という名の束縛、人間の魅力を感覚で測れない数字に束縛された大人、すなわち無限の可能性のある子供らを限定的なテンプレートにはめ込まないと安心できない弱者達による…
まぁいわゆる自由研究ってあるじゃないですか。
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我が家の小1の長男も学校から自由研究の課題をもらって来まして。
もらって来たは良いけど小1にとって自由研究ってなんぞやって話ですよね。
僕が小学生の頃にやった自由研究で覚えているのは昆虫の抜け殻を集めた抜け殻標本。
ぜつ君らしいねという評価を先生から貰った中々気持ち悪い作品だった。
ただクラスのイケてる連中はパチンコをよく作っていた記憶があって、パチンコはカッコよさの象徴だったんですよ。
球をはじいて盤上で転がす方のパチンコね。
どういうわけかクラスに1人は絶対にいましたよね。
下手したら4人くらい被ってた。
取り敢えずパチンコ作っときゃ間違いねぇっていう空気感は間違いなくあったよね。
冒頭でバレているんだけど、僕ってまぁ卑屈じゃないですか。
卑靴を履いて出かけているような奴じゃないですか。
だからあの時僕はパチンコを作れなかった。
あれはカースト上位陣による専売特許だと思ってたから。
あと何より宿題とか自由研究とか顔色伺いつつ適当に回避していたから。
どうしても提出が必要な先生の場合は昆虫の抜け殻適当に集めてお菓子の箱にセロテープで貼り付けて並べた代物で精一杯ですよ。
自由研究っていうか、もはや受け身だったから。
だからさ、あの時のあの憧れのパチンコを作ってみようじゃないですか。
息子に自由研究の何たるかを教えつつ、あの時のあの場所へ置いてきた自由研究を取り戻そうじゃありませんか。
なんて思いながらホームセンター歩いてたらまぁ板を買っちゃってたよね。
気付いたら板買って持ってた。
イタいおっさんが板持ってた。
当時は確かみんな釘を打ち込んでた。
けど我が家には0歳の三男がいるもんで、釘は使いたく無いよね。
つかまり立ちしくじってよくコケてる三男なんで、釘だらけの木の板とか床に置いてあったら恐ろしい事になるから。
北野監督最新作?みたいな事になるから。
こんな感じに切った木材を適当にボンドで貼り付けて。
木工用ボンドですよ。
久々の。
普通ね、大の大人がね、その叡智を駆使したらとんでもないパチンコが出来るに決まっているじゃないですか。
若干浮いてたりとか、勝手に部屋をお掃除してたりとか。
まぁいたって普通の。
何ならあの頃の小学生の作品の方が上出来だったんじゃねーかってくらいの代物で。
我ながら驚いた。
記憶の彼らの作品よりもやや粗悪な物が出来るとは驚いた。
これあの時に2面構造のパチンコとか作ってたあいつ、今頃少し浮いてるパチンコとか作り上げてるんじゃねーの?
まぁでもこれの目的には息子に自由研究の何たるかを示す意味もあった訳で。
今はこういう当たり障りのない適当な作品で適当に受け身をとって、大人になってから本当の自由研究をすりゃいいんだって事を示す意味もあった訳で。
長男よ。
どーだい?
パチンコ、作って見たくなったんじゃないかい?
彼は全然違う迷路作ってた