液体パパ

3人子育て中の個人タクシードライバーがわりと変な記事を公開します。



【ちょい真面目】 千葉県市川市の保育園開園断念問題の本質

様々な波紋を広げている千葉県市川市の保育園開園断念問題。
一応ここも子育てブログと銘打っていますので少しだけ首を突っ込んでやろうと思います。

そもそもこういった問題が起こる背景を語っているブログがあまり見受けられなかったので、最終的にそこに行きつくように書いてみます。

その1 地元住民の反対理由は何なの?

地元住民による反対の声はだいたい二分されているようで、一つが子供達の声による騒音問題と、もう一つが狭い住宅街の劣悪な道路状況だと。

まず子供達の声による騒音問題。
閑静な住宅街に保育園や幼稚園が出来ればいくら防音対策を施したとしても限界があるというのは事実だろう。
人によっては子供の声が騒音に聞こえるというのは後で触れるとして、少なくとも今までよりもうるさくなる可能性は高い。

次に劣悪な道路状況。
細い所で道幅が3メートル程度の道路という事で、確かにこれは狭い。

都内の世田谷という激狭エリアで働いているプロドライバーの僕の意見として、3メートルは基本的にすれ違えない。
となると対向車が来た場合、片方が少し広がっている地点で待機してやり過ごすというテクニックが求められる。

仮にお迎えの車が殺到するようであれば、混乱を招くのは間違いないだろう。

その2 事前説明は盤石だったのか?

建設ありきで話が始まったとする意見が目立つ。
深刻な待機児童問題を抱える市側の焦りなのか、出だしで悪印象を与えるなんて最悪の説明であると言わざる負えない。

どのような初動だったのか詳細は分からないが、ナイーブな問題だという自覚のある人物が説明をしたのか疑わしい部分がある。

警備員の配置や防音ガラスの設置、別に駐車場を借りて周辺には一台も入れさせないようにする等の対策がちゃんと伝わっていたのだろうか。

その3 子供達の声は何で騒音なの?

例えばレストランにたまにいる大声で会話をしているグループ。
学生だってサラリーマンだっておじさんだっておばさんだっているよ。

これらを不快に思う人は多いと思う。
自分がそのグループ内にいると騒音じゃないのにね。
これは自分とは無関係だと感じる声にアレルギーを感じているから。

子育てをしている人はそうでない人と比べて、子供の声を騒音と感じる度合いはかなり違う。
自分の子供だろうと他人の子供だろうと。
これは単純に、状況をイメージして理解する事が容易に出来るか否かの差な訳。

結局の所子供の声を騒音と捉える人達は、自分が子育てに携わっていない、或いは久しく携わっていないという事が多い。

そしてもう一個、今回僕が最も言いたい事が足りていない。

その4 想像力の欠落ではない

「子育て世代の事を理解できない老害が!」
僕らの世代からこんな声が聞こえて来そうだけど、ちょっと待って。

子供の声が騒音だとか、保育園が反対されて建設出来なかっただなんて昔は全く問題にならなかった。
それが何故今は至急作らなければならないにも関わらず、一個建てるのにもこんなに苦労するのだろうか?

想像力が失われて、子育て世代の事を理解出来なくなった人が増えたからだろうか?
半分当たっているけど、半分は違う。

これは地域共同体の分解と核家族化によって、"想像する機会"が失われた事に起因する。

子供が身近でなくなってしまったのだ。

これは何も年寄りだけの話ではない。
昔は親戚やご近所さんのどこかに子供がいて、それを地域で育てるスタイルが確立されていた。
勿論今でもそれが残っている地域も多いが、都市部やベッドタウンでは多くが崩壊した。

子供、及び子育てが自分と無関係になれば子供達の声や"子育て関連の音"の全てがノイズに変わってしまうのは必然となる。

その5 でも本当に無関係?

出生率は国単位で語られて少子化だなんだと騒がれる事が多いけど、実はそれは最も外側の話。

子供は本来はまず親族にとっての宝であり、次に地域社会に加わる。
その輪はぐんぐんと外側に広がり、最後に国家の宝となる訳だね。

その意識を持てない人が多いけど、保育園建設に反対をするというのは本人が買い物をするスーパーのレジのおばちゃんの娘が待機児童で困っているのを解消出来ない事だし、同じく宅配屋のお兄さんもそうだ。
あの八百屋のせがれはどうだ?
元酒屋で今はコンビニ経営しているあの人はどうだ?
さっき道ですれ違ったあの人はどうだ?

保育園が足りないという事は、その地域の多くの人が困っているという事。

今まで目に見えていたから対応出来た事が、今は想像しなければならなくなった。
想像力の欠落ではなく、今まで以上に想像力が求められる社会になってしまった。

しかも想像しなければ地域は崩壊する。
受けられる様々なサービスは人が作り出しているから。

いくらお金を出したって、小売店がなけりゃ食べ物は買えない。
床屋が無ければ髪の毛も切れない。
働く人がいなければ老人ホームだってやっていけない。

その根底にあるのが保育園や幼稚園ではないのかい?

それを排除するという事は、自分の今まで通りの生活を排除する事。
その自覚と覚悟があるならば、自分の家の回りだけ気にしてノイズを排除し続ける生活すればいいのだが、滅び行く地域の真ん中で朽ち果てる事を心底望んでいるとも思えない。

今まで以上に想像力を働かせる。
これは大変な事だ。
酷なことだ。
でもそれをやらなければしわ寄せは自分に帰ってくる。

それを踏まえると。
市側の建設ありきで非誠実な切り出し方の緊張感の無さが悲しくなってくる。

丁寧な説明があれば、もしかしたら100人超の保育園建設ができたのかもしれない。

丁寧な説明があれば、ゆくゆくは自分の住む地域の問題であると理解できない住民はいないと僕は考えるからだ。