【ちょい真面目】僕が立ち会い出産を希望する訳
9月の上旬が3人目の子供の出産予定日なんですが、このタイミングでテレビで夫の立ち会い出産に関しての特集が組まれていた。
そういえば夫の立ち会い出産ってどんな意味があるんでしょうね。
僕は立ち会いを希望してて、実際に息子2人とも運良く出産に立ち会えているんですけど、でもどうして立ち会いたいと思ったんでしょうね。
この機会にちょっと整理してみました。
スポンサーリンク
出産とは
赤ちゃんは骨盤を押し広げて、ドリルのように回転しながら出てくる。
問題なのはこのサイズがおかしい点。
発注してた家具が玄関の2倍くらいあって、普通に考えたらこれは絶対通らない訳。 明らかに通らない事は小学生だって分かる。
出産ってそれを通す作業。
無理だつってんじゃーんって思いながらも、骨盤という玄関を破壊しながら、バキバキバキって拡げて通す。
家具は壊せないから玄関をぶち壊します。
赤ちゃんの方も当然リスクはあるけど、摂理としてなるべく壊すのは母の体の方と決まっているようだ。
骨盤も壊れるし、最後の出口である会陰部も裂ける。 裂ける事が分かっているから、ハサミで会陰部分を予め切る。
いわゆる会陰切開。
出産時に無茶苦茶に裂けるよりも、予めハサミで綺麗に切っちゃった方が縫合もしやすいし跡が残りにくいという事。
これはごく普通の処置。
これすらも、陣痛絶頂期に行う施術なので麻酔無しでも本人は気付かないらしい。 要はアソコをハサミで切られても気付かないくらいの痛みが別にある。
その痛みを数時間経験する訳だ。
ちなみに我が家の初産の時はほぼ24時間だった。
妻の身長は151センチと小柄で、そして子供は3400グラムと大きく育った。 加えてへその緒が赤ちゃんの首に絡まって長時間の出産になった訳。
2人目は約3600グラムとさらに大きく育ち、今度は足首にへその緒が絡まったお陰でこれも長引いた。
いやいやいや。 これが進化の頂点である人間の出産ですかと。
僕の率直な感想は"もっと良い方法ないの?"でしたよ。
出産時にやれる事
さて、そのように過酷な出産。 夫が立ち会った所で何が出来るだろう。
不安な妻を勇気づける。 汗だくの妻をうちわでパタパタ扇ぐ。 ストロー付きの飲み物を飲ませてあげる。 少し楽になると言うので、尾てい骨の辺りを指で圧してあげる。
主にこんなもんかな。
不安な妻を勇気づけるっていうのは場合によっては逆にいらねーよって話で。 むしろ気が散って邪魔なんだけどっていう場合もあって。 我が家もどっちかっていうと1人でも余裕で行けるタイプかなーとは思った。
でもね、これもどうか入れて置いて欲しいんですよ。
何故なら夫のやる事が全くないからですよ。
この差。 この差がすごくないですか?
片方会陰切開とかしているってのに、こっちはうちわでパタパタ扇いでいるだけですからね。
エベレスト登頂したーって言ってる人に、スーパーマリオ1面クリアしたーって自慢するくらいの温度差があって。
めっちゃクリボー踏んだ!って自慢するくらいの温度差があって。
ここにあるのはただひたすらの無力感。
僕にとって生命の誕生はもう終わっていた
無事に赤ちゃんが出て来て、「あんにゃーあんにゃー」って弱そうな産声をあげた時、ホロリと涙が出る。
でもここではメチャメチャ堪えるんですよ。 だってね、妻と赤ちゃんは命懸け、先生や助産師さんはプロとして最大限のフォローをしてて、僕はうちわでパタパタですからね。
僕だけ泣いちゃだめじゃね?
そんな、チーム出産に入れて貰えているのかいないのか分からん状態で1人でわんわん泣くわけにもいかないんですよ。
でも誰も見てなきゃ僕はきっとわんわん泣いている。
この涙は何の涙だろうか。 のちに冷静に考えてみて分かった事がある。
生命の誕生で泣いているのではないって事に。
妻が妊娠に気付いて、検査を行って陽性が出た瞬間、きっと僕の中での生命の誕生は終わっていた。
辛いつわりの時期。 初産から段々とつわりは弱まるなんて話もあるけど、我が家では3人目が一番過酷だった。
その理由はよく分かってないらしいけど、体内で起こる拒絶反応も一因としてあげられてたりして。
拒絶反応て。
つわり何てのはツッコミ所満載だけど、人類はそれでここまで増えて繁栄したのだから生物学的には間違っちゃいないのかも知れない。
「産むと不自由から開放される」
妻はそんな事を言うのだけど、僕は内心ざわつく何かを感じるのだ。
出産はリスク
新しい命の誕生って言うけれど。
実際に辛いつわりを経験する訳でもなく、お腹が異様に巨大化して不自由になる訳でもない。
それらから開放されるという感覚が無い僕からしたら、妻の出産っていうのは大きなリスクでしかない。
どんなリスクか。
この先を共に生きるパートナーとしてがっちり手を繋いだ妻と、僕の中ではすでに誕生を迎えている赤ちゃんの双方を失ってしまうリスクだ。
絶対にあってはならない事。 でも起こりうる事。
僕が産声を聞いて、先生がへその緒を切って、助産師さんが僕を呼んで、体をごしごし拭いて、体重を一緒に確認して、指の本数を一緒に数えて、取り違え防止のタグをチェックして腕に巻いて、再び妻の横に添い寝をさせる間ずっと堪えているあの涙は、僕にとってのリスクを回避出来た事への実に身勝手な理由の喜びの涙だったのだ。
先日の検査で、ずっと逆子だった3人目がちゃんとした向きで射出体勢になっていた。 危うく帝王切開だった所。
最後の最後で空気を読んだ。
ちょっと向きが違うってだけでお腹をザックリ切られちゃう可能性がある訳だからすごい話だ。
でもすげー嬉しかった。
お前もリスク回避に協力してくれるって訳か。 井の中の蛙かと思ってたらやるじゃねーか。 その中、ネットでも繋がってんの?
空気を読みすぎて、自意識が過剰すぎて、行間を読みすぎて、それでいてイタズラも好きな僕と中々気が合いそうじゃないか。
トイレに行っている間にルーレット回されるのは嫌だ
立ち会い出産の意義は人それぞれだと思うし、恐らく普段仕事をしているであろう夫は立ち会いたくても出来ない場合もあるだろう。
場合によっては様々な理由から立ち会いを拒んだり、自粛する夫もいるだろう。 それもきっと愛の形。
でも僕はやはり極力立ち会いたい。 例の身勝手な理由の涙が欲しい。
あの独特の無力感と、手持ち無沙汰で扇ぐうちわ。
「あ、旦那さんはそちらに立っていただいて」
つって、いわゆる足側から見ようと思った僕をこいつ邪魔くせーなって顔で立ち位置を誘導する先生。
そんな疎外感を味わいつつ無事を見届けたい。
「お前のルーレット回しておいたから」
同じ事だけどさ。 確かに結果は同じなのかもしれないけどさ。
でも人生ゲームのルーレットくらい自分で回して、それがどんな数字だったとしてもさ、止まるまでは極力見届けたいじゃないか。
車の駒に棒をぶっ刺す超弩級のイベントだからね。
トイレに行ってる間に友達に回されてて、すでに子供が増えるマスに移動されててもさ、それは何かちょっと違う気がするんだよ。