【ちょい真面目】ぜつさん流子育て論
たまには少し語らせて。
って事で。
今我が家には間もなく6歳になる長男と、間もなく2歳になる次男がいまして。
今のところ奥様とも子供達ともそれなりにうまくやれてきたかなと思ってます。
ここに至るまでに僕なりに家族や子育てについて悩み考え、答えを導き出したりして、いくつか思う事も出てきました。
ここらで一つ現在の自分の思考とやらを整理し、記録も兼ねて書き連ねてみようと思います。
子育てに不安や悩みを覚える全ての方に少しでも参考になったら幸いでございます。
子育てとはインド旅行である
はい。
まず僕はインド旅行とかした事ないですからね。
いきなり適当な事言ってインド人もビックリしてる頃でしょうが。
インド旅行した俳優とかが口を揃えて言うセリフは、「人生観が変わる」じゃないですか。
まぁ人生観が変わるとか言われると、天の邪鬼の僕は絶対に変えてなるものかと思ってしまうけどね。
ガンジス川に死体が流れてたりしてもね、「あーあるある、地元でもわりとあるよねー」って冷や汗垂らしながら必死に取り繕うと思うけどね。
ただインドに行かなくとも、少なくとも僕は子供が出来てから人生観は激変したし、まだまだ変化の過程だっていう底知れぬモノを感じている。
人生観を変えてしまう出来事っていうのは、非日常の襲来であり、カオス状態の渦中に飲み込まれた感覚なのだろう。
そういった意味ではインド旅行に例える事が出来るのではないかと考えるのだ。
(もしいつか実際にインドに行って全然違ってたら、帰国と同時に電光石火でこの項目を削除するだろう)
自分の時間を一旦全て捨て去る覚悟はあるか?
子供が出来てから、僕が最も戸惑ったのがこれ。
僕はとにかく一人でいる時間が大好きだ。
ラピュタの庭園のロボットとか憧れる。
花をお墓に添えて、"ゴリラ"って文字に並べてみたりして、「ピンポンピーン(ドヤ顔で)」とか電子音鳴らしてみたりして。
子供がいたってここは譲れないし、まぁまぁどうにかなるだろって思ってた。
甘かった。
今思えば一人目が新生児の頃はまだ扱い易いぶん楽だったんだろうけど、そこはさすがに初体験の一人目ですから。
付きっきりで見るもんですよね。
そうなるとパソコンを開く時間も本を読む時間も、摘んだ花をゴリラって文字にする時間もなくなります。
僕にとってこれがかなりのストレスで、結果的に仕事終わっても真っ直ぐ家に帰らずほっつき歩いたりして、奥様に負担と迷惑をかけた。
こんな事で夫婦間がギクシャクするようじゃお話にならん訳で、物心ついた頃からギクシャクしてた僕自身の両親と同じ事しかけてるんじゃねーかって気付くに至る。
軌道修正が出来るジャイロセンサーが僕の数少ない誇れる点だと思ってて。
またの名を自意識過剰って言うんですが。
いっそ自分の時間とやらをパーフェクトに捨ててやろうと考えた。
元々一人が好きだっていうのも、人間関係からの"逃げ"である事には気付いてたし、結婚して子供も授かってって状態で、な~にが俺は孤独が好きな一匹狼だぜとか気取ってんだって。
後れ馳せながら、ようやくここで子育ての覚悟が固まったのだ。
公園で公式に遊べる
高校生くらいになってからかな、公園の遊具が恋しくなったのは。
これは僕だけかも知れない。
なにあの新しい遊具!僕にうってつけーとか思っても、おいそれと遊べない年齢になってしまった。
何なら捕まる。
所が子供を連れて公園に行けば、公式に遊べるじゃないか。
「えーなんだよパパいないとこれ進めないの?ったくしょうがねーなー」つって。
アスレチック超楽しい。
もう一度言おう。
アスレチックは超楽しい。
自分の過去が走馬灯のように
今時走馬灯って…。
まいいや。
これは分かりますよね。
子供の背中を見ていると、過去の自分の記憶が引っ張りだされる。
これが中々感慨深いもので、命の繋がりを感じるんです。
シュール好きにはたまらない
子供が言葉を理解して喋りだす頃から、僕の中で小柳ゆきが崖っぷちで歌いそうなくらい愛情が溢れだしてきた。
語弊があるだろうから言っておくと、ハイハイしたりつかまり立ちをしたりっていう時期も堪らなく愛しいんですよ。
けどどこか振り切れない。
小柳ゆきもまだ2メーターくらいの高台にいる程度で、「え?ここで歌うんすか?」ってな顔してる。
ただこちらの言うことを少しずつ理解して、反復して、二語文を喋り出したりして、自分で文章を考えて言葉にするようになってくると、これが堪らなくイイ。
ブログのネタになるような、シュールな言葉を連発してきやがる。
あっちは天然ですからね。
どうやったって勝てませんよ。
家に永野とホリケン混ぜたようなのが常駐してるって事ですから。
規定路線をぶち壊すデストロイヤー。
シュール好きには溜まりません。
気付けば小柳ゆきちっさ!
あんな高い崖の上でものすっごい風受けてすごい声量で歌ってやがんの。
もう大柳だよあれ。
一方奥様はこうなってくると可愛いげがなくなってくるようで、なんか寂しいとか言い出す。
母性の射程距離短くね?って思ったりもするけど、こちらの射程範囲に入ってきたからいいのかな?
結局子育てって自分の時間をなげうってまでする価値あんの?
これは自分がじじいになった時にファイナルアンサーが出るものだと思っている。
ただ現時点で思うのは自分の子供がここまで可愛いと、もし孫が出来たらその可愛いさたるや、可愛い死ぬんじゃなかろうかと思うほど。
人生をマルチエンディングのゲームに例えると、子供を育てるっていうイベントを進まないと、孫イベントが発生しない事になっている。
正直子育てイベントを通るルートはハードモードですよ。
ベリーハードですよ。
ただどーせみんないつかは死んじまうこの人生ゲームで、イージーモードにこだわる事もない。
エンディングバリエーションを増やしておくってだけでも十分に子供を育てる価値ってのはあるんじゃないの?
少なくとも自分の親や奥様の親に子供を見せに行くとそう感じる。
自分の子の子育てに無関心だった義父が、孫が家にいると分かってると寄り道しないで真っ直ぐ帰ってくるんだから。
もう定年間近の体で疲れているだろうに、休みの日には遊園地に連れていくんだから、こりゃ孫イベントとやらは相当なものに違いない。
もちろん様々な理由で子供がいない、作らない、作れないってケースはあるし、いちいち僕は個別に配慮なんかしませんよ。
人間手元にあるカードしか切れないんだから。
親孝行の形なんていくらでもあるし、この先世の中がどう暗転するか読めたものでもないし。
ただ一つだけ、少し大きめの親孝行ってやつをしてあげられたのかなとは思っています。
子育てブログはまだまだ続きそう
結局突然こんな内容の記事をどうしたんだって事です。
何なの?
春だから?
精神的にきちゃってんの?
違います。
実は奥様のお腹に3人目がおりまして、そいつが安定期に入ったので取り敢えずのご報告も兼ねて一つの区切りをと。
この分じゃこの子育てブログも当面は終われませんしね。
まぁなんつーか。
取り敢えず思ったよね。
安全日ってあてになんないよねって。
安全日なのにそれでも産まれてくるって余程のでしゃばりだからね。
テニスの王子様の作者みたいな奴ですよきっと。
そんな訳で、取り敢えず人様に迷惑をかけないような人間に育てますので社会の暖かい目を享受出来たらと思います。
っていうか難易度設定上げすぎたよこれ。
どーすんだ。